年越しに・・・

モモコ

2007年01月10日 09:00

さて、年始もいよいよ落ち着き

私も普通の生活に戻りつつあります。

すこしづつ思い出した、年末の事・・・

今の間に書いとかねば、忘れる・・・

昨年はお餅つきの途中より

パパとは仕事の関係で離れ離れになってしもうた・・・

縁あって結ばれた二人に初めておとずれた

離れ離れの年越し・・・

私は不安で不安で仕方なかった。

パパおらへんのに

お餅つき、おせち作り、新年を

パパの親戚に囲まれた中で

どないして、過ごそうと・・・

そう、パパは私にとっての大きい大きい 盾なのだ・・・

しかも年越しから年始とは・・・敵もいつもの何十倍・・・(親戚のみなさん本当はそんなこと思ってませんので、お許しくださいませ。)

ところが、私も大した人物に成長したもんだ・・・

お餅つきの夜、みんなで鍋なんだが、

夕方4時頃から、私と娘二人は爆睡

私が気が付いたのは、夜の9時だった。

確か・・・夕方6時ごろお義母さんから上と下をつなぐインタホーンが鳴ったような・・・

「鍋をみんなでしようって、用意してるでー」と

なのに私はねぼけて「もう、みんなで寝ております。」なんて言ったらしい。

後は記憶にございません。(きっと疲れていたのよ・・・)

次の日例のおせち作りの日・・・

いつもなら8時に降りていって、まだ作りはじめてないのを確認し

9時に降りていく私なんだが・・・

普通に9時半に降りて行った。(だって子供をまかせるパパいないんだもん)

そしてそして、普通に「お腹減ったー」と作りはじめながら、朝ごはんをいただいた。

すでに、パタパタと超忙しい義母を横目に・・・(あぁん、私って何て嫁!)

そして、いつもどおり和やかに、女3人でおせち作り~

(私もずいぶんとおせち作りが様になってきたようだ・・・)

さてさて

お昼も過ぎ、全員でまかない食をいただくのだが、

このまかない食が、凄いのだ、(あれはまかないとは言わないでしょう)

事の発端は5年前、サーモンの半身を捌いていると、どうしても大量にあまるのだ

なので、このサーモンとイクラで海鮮丼が食べたくなった私は

あの日のまかないに海鮮丼を作ったのがはじまりである。

あれから、5年・・・この海鮮丼は今やすさまじい!

この海鮮丼を食べるが為のおせち作りに変わってしまったのだ・・・

年々、マグロが増え、ハマチが増え、ホタテが増え、

来年あたり、ウニなんぞ登場しそうな勢いである。

お義母さんなんて、当たり前のように、12人前のご飯をわざわざ炊いてるし・・・

海鮮丼も無事たいらげた私達は、「さぁ!エンジンフル回転!おせち5家族分作りましょー」

と張り切った?のは私だけで、

お義母さん「私は、今年は早くにお花を活けたいの・・・」と消えて行き

義妹1は、どっこらしょとコタツに横になるなり、爆睡・・・(お疲れ?)

がーん、昨日鍋に参加しなかった私へのいぢわる?

何ーて思わず、一人せっせか作った。

でも今年は義妹1の娘達(中3、中1)が大活躍!

「もうアンタら!よう手伝いできるようになったなぁ~」と感嘆の声を上げてしまった。

「昔はあーんなに小さかったのになぁ」と(定番のおばちゃんゼリフである)

そして怒涛のような時間が過ぎた夕方5時

義姉がやってきた。(空のお重を持って!来ない予定とちゃうのん?)

義姉「ごめんなぁ!手伝えへんのに、貰ってってぇー」

を皮切りに、義妹1、とすでに来て作ってた義妹2も空のお重を持ってスタンバッてました。

みなさんお重に詰めるのが、上手なこと・・・

(良いのよ・・・だってその為に、作っているんだもの・・・)モモコ心の声でした。

そんなこんなで、おせち作りは無事に終了することが、出来ました。

新年早々長々と、皆様、ご清聴(ご清読み?ありがとうございました。)

次は、おせち作り後の、年越し最後の飲み会でーす。

追伸、パパがおらんでも、いつもと変わりなかったわ!

(そりゃ、そうよなぁーこの日はいつもおらんもんなぁ)

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